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いじめ問題っていったい誰が悪いのか?
そりゃ、いじめした奴が悪いのは当たり前だけど、これだけ常態化してりゃあ、それではすまされない。
マスコミがよく指摘する矛先は学校、先生、教育委員会、文部省、まれに親?
あげられたそれぞれにも責任はあるのだろうけど主犯はそのどれでもないと思う。
どう思う?
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Comment
前にも言ったけど
もう少し自分の意見を言ってから「どう思う?」というべきじゃないの?

まあいいや。
わたしはまずなんでも「いじめ」とひとくくりにしていることに疑問を感じます。いじめとはいえない「これは犯罪でしょ」と思うこともしばしばあります。

犯罪を抜かしていじめだけに限定していえば誰の責任かといわれれば未成年なら当然親が悪いと思う。いじめる側でもいじめられる側でもそのことに対処する方法を教えないのが悪い。集団に接する機会を十分に与え見守る、これが第一歩。見守れることができないのならそういう環境を整える。
そして無償の愛情を持って子供に接する。そうしたら子供は愛されていることをしっかりと感じ、自分自身に自信がもて自分を好きになれる。基本的に自分をすきなひとは他の人にも愛情を注ぐことができ思いやりの持てる人になれると思う。

理想論かな?果たして私自身はどうかと問われれば自信ない。
ゆう 2007/03/11(Sun)14:49:52 編集
予想どおりの回答
あなたは、親が悪いって言うと思った。

でもね。親というのは人類発祥の時代からいるわけで、親が悪いって言うなら、昔からいじめがあってもおかしくないでしょ。

少なくとも、ぼくらが子供のころは、最近問題になっているような、子どもが自殺に追い込まれるような類のいじめというのはなかったと思う。
じゃあなぜ最近の親はいじめを阻止できなくなったのか?
個人の問題では片付けられないでしょ。
そう考えながら答えを出さなきゃだめだよ。
よう 2007/03/11(Sun)21:52:09 編集
では
あなたはどう思っているの?わたしは先程書いたこと以外に思っていることは死というものが身近にないとかかなぁー
ゆう 2007/03/11(Sun)22:17:25 編集
他の原因が
あるとももちろん思ってますよ。でも親は影響大だと思う。三島や太宰が自殺したのも幼少期に親と離れたことも原因のひとつと何かで読みました。
ゆう 2007/03/11(Sun)23:13:52 編集
私の考え
インターナル指向の考え方:いじめの原因は親にある。自分はそういう親にはならない。
エクスターナル指向の考え方:いじめの原因は親個人の問題だけでは片付けられない。周辺環境にこそ問題がある。
ということかな?

あなたの親個人に求めるすばらしい理想像はまったく否定しません。
しかし、みんながみんなその理想像どおりの親になることを目指すことには大きな無理がある、あり得ないだろうとエクスターナル指向の人間は思ってしまうのです。個人の価値観や行動は、周辺環境によって決まってしまうものだから。

では、個人に与える周辺環境とは何かということになります。
学校、教育委員会、行政も周辺環境だけれども、そこに責任を負わすことで解決できるのかと考えると、それも無理があると思う。そこに責任を追求するのは簡単だけども、実に短絡的な発想でレベルが低いと思う。
いじめがなくなるように、日本じゅうの学校を変えられるのか?教育委員会が変われば解決するのか?行政がきちんと対応すれば解決するのか?・・・
たぶん、解決しないでしょう。それらは社会システムという中で、実に当たり前の行動をとっているだけだと私は理解している。責任がまったくないと言うつもりはありません。期待しても仕方ない、期待するのは筋違いだと言ってるのです。
一昔前なら熱血的な正義感あふれる教師も少なくなかったので少しは期待もできたのでしょうが、今の時代にそういう期待をしても虚しくなる構図にしまったのは学校側だけの問題だとは思わないから。
学校や行政に責任を押しつけても何も解決しないのに、あいつが悪い、こいつが悪いと言い合う子供のけんかのように、大人がそういうレベルの低い不毛の議論をしていることこそ、子どもたちに悪い影響を与えているんだろうと思ってしまう。

いじめっ子というのは昔からいたよね。だけど、いじめっ子も分をわきまえていた。正々堂々かばう子もいたし、いろんな子どもがいて、全体としてのバランスが成り立っていた。ところが今は、そういうバランスが成り立っていない。いじめ自体は大人社会にでもあることだし、いじめそのものをなくすことは、この世から戦争をなくすことくらいに難しいことだと思うけど、今問題となっているいじめ自体ではなく、いじめに対する子ども社会の中での捉え方、考え方ではないかと思う。安易にいじめる側につくことでしか、自分の身を守ることができなくなってしまっている。いじめられる子を平気で見捨てることもやむ無しと考えざるを得ない子ども社会になってしまっている。いじめに対する正義感に自信を持って対抗できる子がいなくなってしまっている。

なぜこうなってしまったんだろうと考えると、やはり子どもが成長する過程で触れてきた情報に原因があるのだろうと考えるに至る。
当然、親というのも大きな影響力を与える情報源だけれども、昔からそんな立派な親ばかりじゃなかったはずだよ。親というより地域社会全体に教育されていた。テレビだってウルトラマンのように正義の味方がかっこよかった。みんながあこがれていた。ゲームだってバーチャルではなかったので勝つことも負けることも実感していた。

話は長くなったけど、テレビをはじめとする子どもをとりまく情報社会に大きな問題があること、それによって正義感に対する自信がなくなってしまっていることが大きな原因ではないかと思う。でもそれは子ども社会だけでなく日本の社会全体がそうなっている。何が正しくて、何が悪いことなのか、みんな見失ってしまっている。誰かを悪者にすることでしか満足感を得られなくなってしまっている人が実に多い。そしてその率先者は大概の場合がテレビであるように思う。テレビの影響力、それは偉大で破壊力は実に恐ろしい。
いじめ問題だけじゃなく、いろんな問題が、テレビの普及、放送技術の高度化、演出の過激化などによってもたらされたと考えるのは短絡的過ぎるかな?
あるある問題が起こったのも、人の価値観の判断がテレビに牛耳られてしまっているからでしょう。違うかな?

よう 2007/03/12(Mon)19:07:49 編集
やっとパソコンから読みました。
携帯からだとじっくり読めなかったので意見を書き直します。
あなたの意見はよくわかりました。わたしはインターナル指向に傾いているということもわかりました。
ただどうしても気になるところがあります。
いじめって言われているものには色々種類があるということです。わたしは仲間はずれなどはいじめに入ると思います。いじわるするようなことかな。そのことに対して親に責任が結構あるのではといいたかったのです。
この間あったような漂白剤を入れたものを飲ませたというようなことはテレビではいじめといっていますがいじめという言葉でひとくくりにしていいのかと思っています。そういうものはいじめではありません。犯罪です。なんでもいじめ、いじめ。見ている人は感覚が麻痺してしまって「またか。」と思ってしまう。いじめということばひとくくりに報道することも問題だと思っています。
わたしが犯罪だと思うものは情報のもたらす害が大きいと思っています。

ゆう 2007/03/15(Thu)17:32:26 編集
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